子ども空手×杉並 六石門 らいらいブログ

カテゴリ:余談( 3 )




そこでは



道場はお釈迦様が悟った場所というのが語源。公共の体育館を借りているが、稽古している場所を道場と呼んでいる。体育館だが他のどんな呼び方もしていない。道場がみんなにも何か変わる場になったらと思っているからだ。

普段と同じ気持ちでやっていて何か変わるはずはない。だから道場は普段とは一線を画す場でいたい。ほんの一瞬でも身が引きしまる思いをする場でいたい。道場は特別な場所だ。

スリランカで仏像のそばでポーズを真似して記念写真を撮った外国人観光客が、仏教徒の思いを傷つけたと有罪になった。もし信仰心がなくても、信じる神さまが違っていても、理解できなくても、そこに入ったらその場を尊重するのが礼儀だろう。

スティングのライブ中におでんを食べてる観客がいて「雰囲気が台無しだった」と、ラジオでたしか渡辺美里が怒っていた。どんな場所でも、そこにいる人たちはその場を、そこの雰囲気をとても大事にしている。でも雰囲気はもろく壊れやすい。

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by rairaiblog | 2014-08-28 23:59 | 余談

穏やかに



Wrestling(レスリング)のwrestleは、じゃれ合うが語源だそうだ。ライオンの子どもは兄弟でじゃれ合うことで狩りの練習をしているらしい。人も動物だから、じゃ合う本能がある気がする。

ペルーの村では毎年クリスマスにケンカ祭りがある。その年に揉めた二人が素手で本気で殴り合う。と言っても立会人が絶妙で大けがをする前にちゃんと止める。この祭りのおかげで村はふだん穏やかだそうだ。

世の中には、それ以上言ったら人が本気で怒ってしまう境界線を想像できない方もいる。そうゆう方は殴られたほうがまだましなくらい言葉でひどく人を傷つけても、何にも気づかないようだ。

格闘技は野蛮だという声もあるが、道具を使わず素手で闘うことは殺し合いじゃないことをさしている。世界には村同士で揉めても戦争はせずに代表が格闘して、勝った村の言い分を通すという穏やかなとこもあるそうだ。

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by rairaiblog | 2014-05-10 23:59 | 余談

雪もよう

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 プロレスの神様が「ガッツは他人にはどうすることもできない。本人の頑張りに応じて天から与えられるものだから。少しずつ身につけるしかない」と言ってた。

 稽古で一番大変なことはちゃんと来ること。来さえすれば稽古は半分終わったようなもの。今日の大雪でも稽古に来た子たちは、また少し天からガッツをもらっただろう。

 とはいえ稽古に来る途中で転んだりしても大変。それに長い長い時間をかけてより高めるつもりなら、時には思い切って休むことも大事。一本調子な稽古は行きづまりやすい。

 だから今日ような悪天候は稽古に行くべきか、かなり悩みどころ。判断にはいつもいろんなことが混ざりあって、ひとくくりには決められない。

 それでもどうするかは自分で決めたほうがいい。自分で決めたなら、どんな結果でも文句は言えないから楽。誰かに決められてしまう言いなりの人生はずいぶんつらそうに見える。

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by rairaiblog | 2014-02-14 23:46 | 余談

杉並区荻窪体育館、上井草スポーツセンター、大宮前体育館で活動している楽苦しい空手 六石門(ろくせきもん)のブログです
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